言葉との出会いも、また大切にしたい。
いよいよ今年もあと残りわずか。慌ただしく過ぎ去る師走のひと月は、どこと
なくせわしいような、落ち着かないような・・・。
そんな時こそ、ちょっと心をやすめる時間がほしいもの。
今日は、そんな人(僕も含め)にお勧めの本。
99の言葉は、風のようにさわやかに、心に何かを伝えてくれる。
本書には、左のページに著者の書が、右のページに簡潔かつ意味深い解説が書
かれている。いくつか心にとめたい言葉を書いておこう。
一点の素心(そしん)
人の世は、欠点だらけの人間が運営するのだし、その多くが打算がらみ
だから、つまらぬことが山ほどある。
が、ほのぼのと心温かくなることも、もちろん、あるー。人はそれに出
会うためにこそ生きているのであろう。
・・・
一点の素心とは、何物にも汚されない清々しさだろうか。それは言い換
えれば、人としての誇り、あるいは矜持ということかも知れない。そし
てそれを心に秘める者だけが、心温かきことに出会い、真の人になって
いくのであろう。
一点の素心、その言葉にふさわしい方に今日お会いしてきた。Tさんというそ
のお方は、いつも穏やかに、遠くを眺めることの大切さを教えてくださる。そ
んな方と巡り合えたのも、一冊の本だった。
http://archive.mag2.com/0000000969/20070709003917000.html
もう一つ。
慈眼(じげん)
この世は愛と憎しみだ、と言い切ってよい。もとより、自分の都合によ
る。好都合なものは人でも物でも、手元に引き寄せて、いつまでも愛し
みたいし、不都合なものは、何だかだと理屈をつけて、視野の外に押し
出そうとする。・・・
私たちは、まさに、愛と憎しみの交差する世界にいるのだ。それだから
物を見る目、人を見る眼も、温かいまなざしと、悪意のこもった視線と
を忙しく使い分けている。さしずめ、善眼と悪眼の両刀使いである。
・・・
善眼でも悪眼でもない、あるがままに見る慈眼という第三の眼のあるこ
とを知っておこう。
他にも、なるほどそうだったの・・・と、理(ことわり)の深さに、へぇーと
うなることがいっぱい。
心静かにできる夜を作って、ぜひ読んでおきたい一冊。
著者は興福寺貫主、つまり興福寺のトップ。立命館で学ばれているとき、出あ
ったのが仏の教育家アランの言葉。
楽観主義は意志で、
悲観主義は気分である。
というもの。言葉にこもる力を実感した瞬間だったと“はじめに”に書かれて
いる。生きていることと、言葉は、切り離せない。
行きずりの何気ない言葉に自分なりの意味を見出し、それを便りに困難な人生
も歩いていけるものだ、と著者は言う。だからこそ、心惹かれる言葉に出会っ
たとき書留め、自分なりのコメントをつけてきたという。
自分にとって言葉に出会うのは、素敵なことだ。
そういう言葉を、集めるのもいい。きっかけになる本をあと2冊ほど・・・。
東井義雄氏の「いのちの言葉」もお勧めだ。 http://tinyurl.com/INOCHI
もうひとつ中島未月さんの
「好き」からはじめよう 大切なことに気づく45のメッセージ
もいい。 http://tinyurl.com/SUKIKARA
よい言葉を知るほど、人生は楽しくなる。僕はそう思う。
★★★★★+風韻
・静かな時間をもちたい方
・今年を振り返りたい方
・心の言葉を感じたい方