究極の要約=「あ」
人はいつでも要約しながら生きている・・・そういわれても、うーん、そうかなぁ?と立ち止まる。
しかし、轡田さんに言われていろいろ解説されると、うん、確かにそうだ!と合点がいく。
昨日みた映画を人に説明するときも、今朝読んだ新聞記事を話すときも、昨日の営業の結果を朝のブリーフィングで報告するときも、電話のコールバックのメモを書くときも・・・・「あ」、なるほどそういえばみんな要約ということをやっている。
考える、とは、要約すること、なのだ。
生きる、とは、つねに要約を繰り返すこと、なのである。
要約の積み重ねこそが、生きること、なのである。
うーむ、確かに。
本書にあった(僕にとって)極めつけはこの言葉:
よき書評とは、「要約」という作業の、きわめて有益な、文明への貢献
として、最高のものの一つである。人生は身近にのだから、それを
利用しない手はない。
おっほぉー・・・なんと。素晴しいメッセージ。
僕のメルマガが「よき」書評かどうかははなはだこころもとないのだが、書評という一つの要約作業をこんなふうに言われたら素敵だ。『よき書評』に高める努力をしていきたいものだ。(まだまだ修行が足りんなぁ・・)
尊敬する轡田さんの本からいろんなチカラをもらった。感謝!である。
なんども読み返してみたい一冊。
轡田さんはこうもいう。
「考えたり、思いついたり」する行為とは要約の一過程であって、いわば
「星雲状」のまま、まだまとまりがついていない状態を言う。そのままでは
すぐに消えてしまったり、変化してしまう。そこで、いち早く文字化してみ
る。走り書きのメモでもいいし、短い文章でもいい、そうすれば要約はさら
に進化する。
そう、書くことは大事なのだ。そして、伝えることが大事なのだ。
要約にはひとつの逆説的運命がある。「要約とはもともと抽象化する作業」だから、短く要約しようとすればするほど、ついには何かわからなくなってしまう。逆にあれもこれもと言いたくなると、もっと簡単にズバっと言ってよといいたくなる。この間の微妙な線が、要約の真髄となる。
テレビを見ても、何かのニュースに触れても常に、批判的な目と、広い視点で洞察しながら「要約」してみる。これが知的な生き方に繋がる。
さて、今日はどんな一日だったか・・・要約しておこう。(日記は要約でもあ
る)
★★★★★+要約する生き方
・知的生き方を探している方
・わかりやすく説明する能力を身に着けたい方
・新解さんが大好きという方