授業者としての生き方を求めて
著者の露木さんとの出会いは、田坂広志さんの出版記念講演のときだった。
ごく短い間だったが、お名刺交換のご挨拶をさせていただく。印象は、とても物腰の柔らかな素敵な方・・・だった。
社会起業家フォーラム(JSEF)のパートナーでもいらっしゃることから、これはよいご縁とさっそくこの著書を買い求めた。
http://www.jsef.jp/sekai/tuyuki.shtml
読み始めると、すぐ、露木さんの深い思想・・・子どもにたいする深い愛情と、ともに成長する喜び、生きていること、生きていくこと、感じること・・・すべてのことが尊いことに思えるような考え方・・・そうした露木さんの“思い”に強く共鳴する自分を感じた。
そして、子どもの教育のこととして読んでいながら、いつしか、それは会社や組織におけるモチベーションや、仕事に取り組む意義といったことと相似形であることを意識していた。
あー、これは子どもだけではない・・・いまここにいる自分も同じことだと。
静かに語られるいくつかのエピソードは、とてもみずみずしい気づきがもらえる。
生活科の授業で、小学二年生の子どもたちがさまざまな生き物を飼う「研究」が紹介される。そのプロセスのなかで、子どもたちが<互いに目には見えないけれども密接な関係を創り出し“自己組織化”を図っていった>と話が紹介される。
一人一人が違いを認め、それぞれの存在意義を感じ取り、常に関係のあり方の発展を目指していく仲間、それを「学びあう共同体」と命名されている。
身につけること獲得することにあまりにも奔走してきた「勉強文化」に一線を画し、こどもの「自分つくり」の場をつくろうという露木先生の学びの復活は、すばらしい。
共生、共創の学びの場を子どもと教師が作っていく・・・すばらしい授業が、リアルに浮かび上がる。
ノウハウや方法論ではない。深く静かな思想の世界である。ものごとに正対し、こころに正面から向き合い、考え抜いた「教育の思想」は、深いところに響く力を感じた。
魂を揺さぶられるようなすばらしい一冊。時を越えて読み継がれたい本だ。
「知ることは感じることの半分も重要ではない」(レイチェル・カーソン)
「こともが磁石の勉強をする意味は、磁石について詳しくなることではなく、 磁石の勉強を先生と親しく追及できたことで、先生をもっと好きになること なんだ」(井深大)
といった心にしみる言葉や、子どもたちのとても純粋で透明な目をもったな作文など、すばらしいものが紹介されている。
露木さんは、授業について次のような表現をされている。
授業こそが、唯一、教師が成長できる場である。
この言葉は、仕事を通じて自分を磨こうとする社会人にとっても共感できることではないだろうか。
なんども読み返したい本である。そして、この本からもらえる気づきを、明日の自分に生かして生きたい。
★★★★★+共生・共創の学び
・成長することがうれしい方
・ともに感じることが楽しい方
・純粋な目でものをみたい方