病院は、治療者側の都合で作られている!
裏表紙に谷川俊太郎氏の推薦の言葉がある。
「この本は、実用書であると同時に思想の書である。」
これ以上適切な言葉はみあたらない。まさに思想を感じさせる内容がある。呆け老人は、なぜ呆けるのか。徘徊させないために「抑制=手足を縛る」したり、睡眠薬を投与したり、介護する側の論理で施設や制度や方法など全てができている。だから、呆け老人の側からはちっとも考えられていないという現実が浮かび上がる。
著者は、介護の専門家でもあるが、いかにも専門家らしい専門家とは一線を画す。呆け老人によりそった「思想」がそこにあるからだ。
病院は、「病気の人」を「健康」にするのがミッションである。つまり、病気か健康か、その2つの状態しかない。二元論の世界だ。ところが呆け老人のケアや脳卒中後のリハビリは、それらのどちらでもない「中間」の状態である。病気という状態にフォーカスした病院は、その中間状態に対しては、無力。根本的に対応していない。中にはすばらしく対応のいい看護師さんやスタッフも稀にいたりはするが、施設も、仕組みも、システムも、みんな「業院の都合」を第一にして作られているという。
(思い当たる節がいくるもあるねー)
寝たきり老人は、どうやって寝たきりになるか・・・それは、「主体性の崩壊」という恐ろしい環境で生まれるという。そして、それは病院では当然のシステムとして組み込まれているのが実態だ。人を「人体」として扱うのか、「人間」として扱うのかという、思想の違いが、こうした現実を作り上げる。
オムツ外し学会、チューブ外し学会を主宰する著者は、本来あるべき介護やリハビリの世界をめざしている。本書には、そのための思想が著者の見てきた現実や経験をもとに書かれている。
介護をする側にいる方も、家族が介護される側にいる方も、ぜひ読んでおきたい一冊である。
僕の両親もいま、寝たきり状態に陥っている。兄や姉にたよりつつも、いっしょに最善を尽くしてきたつもりだ。それでも、本書に書かれている医療や介護の現実の前に、家族で忸怩たる思いをしたことも確かである。選択肢がない状況では、やむなしではあったけれど。
点滴を手でとりたがるという理由で、両手をベッドに縛られ(専門用語では抑制され)、かってに起き上がっては危ないという理由で、胴体を幅広の強靭なベルト(外国製だった)で固定され・・・、そんな親の姿をみて、家族は「なんてむごい!」と思う。しかし、それでもガマンしないと追い出されたり、看護師さんに冷たくされたりするので、子どもが親を説得したり、なだめたりすることになる。 矛盾を感じつつ、あきらめていた。
でも、やはりオカシイ! 本来の姿ではない。
わが親の環境は、著者がめざしている理想像とは離れていたが、いつか「よのなか」のしくみを変えていくという意味では、大いに感じるものがあった。
いずれはわが身。ベッドに「抑制」され、「自尊心や主体の崩壊」の道を当然のことのように突き進まされるのは、ゴメンである。
変えよう、変わろう・・・。医療や介護の世界にも、光を!(きっと介護の現場にいる看護師さんたちも悩んでいるに違いない)
★★★★★+主体性の崩壊
・家族の介護に突入した方
・介護やリハビリに興味ある方
・こんな理不尽はゴメンだという方