2006年09月27日

嫌老社会 ~ 長沼行太郎 + 新内閣

誰しも老いる・・・のだが。

書籍情報

嫌老社会 老いを拒絶する時代
長沼 行太郎
ソフトバンククリエイティブ

本のひらめき

2005年の国勢調査では日本の人口は1億2776万人でピークとなり、その内65歳以上の人口が21%となって「超高齢社会」に突入したという。

国連の定義では、65歳以上が7%で高齢化社会、14%で高齢社会、21%で超高齢社会と呼ぶらしい。日本はそれぞれの段階に1970年代、1994年、2005年に到達したという。

老いは、遠い先の話ではなく、すでにじわじわと浸透している今の話なのである。キンさんギンさんがTVのインタビューで「取材費は何に使いますか?」と問われて「老後の蓄えにします」と答えたと言う。笑 これは誰しも自分はまだ高齢者の当事者ではないと思いたいという好例かもしれない。

著者は、長寿社会の高齢者をふたつに分ける。定年後のアクティブに活動するセカンドステージと、その後に高い確率で訪れる痴呆問題を包含したサードステージである。

古来、長老は智恵に長け、尊敬の対象だったが、一方でボケてしまったり寝たきりになってしまうと嫌われるという現実もあった。このあたりは社会思想としてどう対処すべきかを考えないといけない。

PPK(ぴんぴんころり)と生きたい(死にたい)という願いがあるのは、ぴんぴんな時代(セカンドステージ)と死の間を限りなく短くしたいという願いでもある。逆にいえば、そうでない現実は、財源や社会インフラの未整備から「嫌老社会」をかもし出しているともいえる。

社会的にも思想的にもまだまだ「老い」の問題はクリアになっていない。矛盾の中に存在している。

本書は、ソクラテス、ボーボワール、吉田兼好、谷崎潤一郎など古今東西の思想も紐解きながら、老いについて考察している。ちょっと学術論文的だけれどなかなか深い問いに満ちている。

問われているのは、老いの生き方と、老いを見守る生き方である。


僕の思いつき

老人、老年、中高年、高齢者、お年寄り、シルバー、シニア、ご長寿、エルダー・・・さまざまな名称がある。
いずれも、微妙に敬う気持ちをにじませたり、中性化したりする言葉の妙がある。

超高齢社会の自分達を呼ぶ言葉として、なにか素敵なものはあるだろうか。なんと呼んでほしいか。そんなことも考えておこう・・・。


オススメ度

★★★★☆+生の循環

読んで欲しい方

・お年よりを大切にしたい方
・電車で席を譲るのがすきな方
・元気なお年よりと遊びたい方

●今日のおまけ:( 安倍新内閣 )

 新内閣が発足した。様々な問題を抱えつつ、ちょっと爽やかな雰囲気の
 門出・・・。リーダーの雰囲気というのは大切だ。

 安倍さん、記者会見での弁舌は、自分の言葉で自信をもって語っていた。
 原稿を見ないで(プロンプターも使わないで)なかなか堂々としていた。

  特定の団体や既得権を持つ人たちのために政治を行うつもりはない。
  毎日、額に汗して働き、家族を愛し、地域をよくしたいと願う、日本の
  未来を信じたいと考える普通の人たちのために政治をしていく。

 美しい国をめざす首相のなかなかカッコいいセリフである。

 少なくとも、政治家=いかにも胡散臭そうな人種というイメージからは
 ちょっと距離をおく雰囲気がいい。

 あ、政治的にはいわゆるノンポリな僕なので、これはちょっとした感想
 だけ。戦後生まれ、団塊世代の尻尾のほうの世代の方は、シンパシーを
 感じてるかもね~。

Posted by webook at 2006年09月27日 21:31 | TrackBack