使命のもとに・・・
なんと志高きお方であろう。本書を読みおえ、そのあまりに崇高な生き方に涙止まらず・・・。
著者の対本宗訓(つもと・そうくん)さんは、僧医を目指して研鑽に励まれている。対本さんは、38歳のとき、広島県の大本山佛通寺の管長(お寺の最高位)に最年少で就任する。当時、世間の大きな注目を浴びたと言う。そんな素晴らしいお坊さんが、なぜ、医学の道を目指すのか。
何かに突き動かされるように、己の使命を感じ取り医学部へ進学し、僧医をめざすことになったのか・・・その経緯が詳しく語られている本だ。
お寺に生まれ、幼いことから僧侶となることを定められていた著者は、父親の死などを通じ、独特の生死観をえていく。
やがて、宗教と医学の橋渡しをすることこそが、わが使命と悟ることに。
「医学の世界と宗教の世界をなんらなのかたちでアウフヘーベン(止揚)
することが急務なのだ」
というこの世の求めを一身に受け止めている方、それが対本宗訓さんという方である。
現代医学が身体のみを診て、心を診ない傾向を強くしている。
一方、宗教者は心は診るが、科学が明らかにした生命のメカニズムには無頓
着である。これでいいのか。
対本さんは、宗教と科学の止揚を自ら体現しようとしている。
という柳田邦男氏の表現は、まさに対本宗訓さんそのものを言い表している。
いま・ここ・自分に徹して、一日一日をせいいっぱいに生ききる
そんな著者の姿に神々しさと尊敬の念を禁じえない。
現在、著者は、医学部を卒業し、研修医の立場で、いま・ここ・自分を生きている。
著者が父親を看取った経験から、死についてこう述べている。
死とは、点ではなくプロセスである。
deathの死ではなく、dyingの死
ぼくもそういう人生の時期にあって、わずかにその意が分るような気がする。
子供のころ、葬式とか仏門とかは、どうも忌み嫌うべき存在だった。死も同じ。しかし、人は死ぬことは避けられない事実。人の死も、わが身の死も。
著者のさまざな経験を通じて、生死を考えるちょっとしたきっかけが生まれたような気がする。 http://www.sokun.net/index.html
★★★★★+僧医
・科学と宗教の間を見たい方
・使命を感じりう厳しさと神々しさを感じたい方
・誰かの役にたつことをしたい方