262文字で感じる哲学の道・・・
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●今日の一冊:【現代語訳 般若心経】
いのちの全体性へ。262文字のこころを体感する。
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|玄侑宗久/著
|筑摩書房|2006年09月
|ISBN:4480063196|700円|221P
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<本のひらめき>
先日、親しい仲間といっしょに、この本の著者、玄侑宗久(げんゆう・そうき
ゅう)さんの講演会に参加した。
低いお声ながら、ひょうとした話し振りは、不思議な笑いを会場から引き出し
ていた。ご本人も「とりとめない話で」と恐縮し、会場の参加者も、きっと同
じように感じたに違いない。
しかし、その「とりとめない」という表現は、実は、宗久さんがいわんとして
いた、全体性や「空(くう)」の世界を感覚的にあらわす実にジャストフィッ
トな形容詞ではなかっただろうか・・・。
講演を聴いたあと、この本を買いもとめ、早速読んだ。実に深い。そして、面
白い。量子物理学、仏教、東洋思想などを織り交ぜつつ、262文字に隠され
た「いのちの全体性」を親しみ易い言葉で語っている。
六根(眼耳花舌身意)や六境(色声香味触法)、色と空など仏教の言葉にあい
まって、ハイゼンベルグの不確定性原理、ユングの共時性や集合的無意識、ニ
ールス・ボーアの相補性など科学の世界も登場し、とても興味深く読める。
人が知恵をつけて身にまとっている「概念」は、ある意味で真実を全体から切
り離し、本来の姿を見えなくしている・・・・という。論理と感性の間にある
見えそうで見えない何かを感じさせてくれる。
とても深いものを、めっちゃ気楽なノリで、シャーリプトラさんに語る観自在
菩薩がいる。著者が観自在菩薩を借りて、我々にも語りかけるという構図だ。
理知や合理性の限界を感じはじめた私たちに、不思議な光明(感覚)をもたら
してくれる本である。
<僕の思いつき>
藤原和博さんの講演できいた C=f(A,B)の法則は、相手の頭の中にあ
る言葉を使って話さないとこちらの言いたいことは伝わらない、というものだ
った。その意味では、本書に出てくる仏教用語やサンスクリット語は、いって
みればまったくもってAでもBでもない。意味不明である。しかし、どこかで
聞いたことがあるような・・そんな懐かしさを感じさせる。(実際には、お葬
式や手塚治虫のマンガなどで記憶のひだにひかかっていたものであろうか)
僕の中では、葬式にしか耳にしない「あんなもの」だった般若心経が、不思議
な経路を経て近づいてきた。同じように、常に悪者の代表でしかなかったイン
ディアンも、また不思議な連鎖で近づいてきた。いろんなものが全体性を帯び
てきたような・・・そんな感じがするなぁ。
* 因果律一辺倒の世界である科学は、「共時性」を解釈できない。
* 音が言葉に、言葉が文字になるにつれて失われるものがある。
* 「存在し、かつ存在しない」というこの事態を、私たちは概念化できない。
* 分けられない「空」を、わかるようにわけたのが「色」である。
* 「全体」とは、常に部分の総和以上のなにかであり、仏教ではその
「全体性」のほうを先に見つめ、そしてそこに溶け込みつつ関係している
「個」を認識した。(色不異空)
などなど、「なるほど」を超えた「うーむ」がいっぱいある。
講演で宗久さんが言っていた
「あなたは、あなたでないが故に、あなたである」
という一見理解不能な表現も、感じられるような気がした。
まず宗久さんの「音」を感じてから、本で「文字」を受け取るのがいいかも。
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<オススメ度>
★★★★★+全体性の中に
<読んで欲しい方>
・般若心経を知りたい方
・科学の未知を覗いてみたい方
・精神的レベルアップを図りたい方